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2019/08/08

「クリムト展 ウィーンと日本1900」愛知県美術館

豊田市美術館で開幕したクリムト展を見てきました。東京展でスタートダッシュしそびれて、会期後半のあまりの混雑に恐れをなして遠征にしました…。8月に入るとあいちトリエンナーレも始まって混雑に拍車がかかりそうなので、7月のうちにとギリギリで滑り込んだのですが、平日の開館30分後に到着したら、当日券売り場には行列ができておりました。数えてないけど30-50人ってところかなあ。窓口2つだけだったので、10分程度待ちました。(休日については、開幕直後の土日からチケット購入行列ができて待ち時間も長くなっているようなので、先に用意しておいた方がよいのでは)

並んでいる間にwebで見たけど、豊田展ではwebチケットはなさそうでした。それに、来る時に利用したタクシーで当日券200円オフ券をいただいたので、せっかくなら使いたかったし。他にも係員さんが適用できる割引一覧のフリップを持って並んでいる人たちに案内していましたよ。しかし美術館窓口のチケットはその場でプリントされるもので絵柄チケットではなく…ちょっと残念。次に行くチャンスがあれば、先にプレイガイド等で絵柄チケットを入手して訪問したいところ。ちなみに会期中の土日祝日には新豊田駅前からシャトルバスが出ているそうです。

ということで構成は以下の通り。
Chapter 1. クリムトとその家族
Chapter 2. 修行時代と劇場装飾
Chapter 3. 私生活
Chapter 4. ウィーンと日本 1900
Chapter 5. ウィーン分離派
Chapter 6. 風景画
Chapter 7. 肖像画
Chapter 8. 生命の円環

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会場内は人多し。でも、東京会期後半の混雑を思えば遠征した甲斐があったと思える程度で、鑑賞にストレスはありませんでした。みなさんとてもお行儀がよかったです。学生さんの小団体がいくつもいたけど、彼らもとても静か。章ごとに区切られた会場の通路が、人の多さの割に少し狭かったので、そこが混雑しがちだったくらいかな。

メインはベルヴェデーレのオーストリア絵画館の収蔵品で、そこに個人蔵を含む世界各地からのものが加わっていました。25点以上の油画を揃えるのにどれだけの準備が必要だったか…感謝しかありません。豊田では東京に出なかった愛知県美の「人生は戦いなり(黄金の騎士」)」もいましたよ。クリムトの人となり、画業を伝えるもので、「ウィーンと日本 1900」というサブタイトル通り当時ウィーンにもたらされた日本文化の影響と、クリムトが所有した日本のものがその絵画にもたらしたもの、にも触れています。

「ウィーン・モダン展」がウィーン世紀末から見たクリムトを、クリムト展はクリムト側から見たウィーン世紀末を、という感じで互いに補いあうようなところもあり、東京で同時期に開催されたことにも大きな意味があったのだなーと。残念ながら巡回は豊田と大阪それぞれ一ヶ所のみだけれど、期間がそこそこあるのでまだの方も機会があればぜひ両方ご覧あれ。クリムト展は東京との出品作品の違いは素描やポスターなど10点ほどだったようです。

ウィーン・モダン展の方にも飾ってあった、猫を抱くクリムトの有名な写真(モーリッツ・ネーア撮影)から展示はスタート。クリムトの弟エルンストとの活動のことは知っていたけど、もう一人ゲオルク・クリムトという彫金師になった弟がいたのですね。「パラス・アテナ」「ヌーダ・ヴェリタス」「ユディットI」などの額縁も彼が手がけたというのは今回初めて知りました。エルンストは若くに(そして父と同じ年に)亡くなってしまったので、ゲオルクがクリムトより長生きしたのはよかったなーと。そのゲオルクによる彫金作品が並んでいた第1章が、予想以上に強い磁場になっていました。

なんといってもヘレーネ・クリムトがここにいましたしね。エミーリエ・フレーゲの姉ヘレーネとグスタフの弟エルンストの娘のあどけなさの残る横顔を描いたこの絵に会えて感激でした。間近で見ると、顔と髪は繊細に色を重ねてなお透明感があるのに驚かされます。ツヤツヤの髪に触りたい!と思ってしまうほど。まるで頭部が浮かび上がって見えるように、他の部分は白のニュアンスのみで描かれていて、服などはささっと描かれたように見えるくらい。クリムト特有の肌とそれ以外のタッチが違うやり方は、この頃から既にあったのですね。


第2章は修行時代と、友人のフランツ・フォン・マッチュと弟エルンストと共に結成した「芸術家カンパニー」の活動について。フランツ・フォン・マッチュとクリムトが同じモデルを同時に描いたらしき修行時代の絵が並んでいていました。出発点はとても近しかったこの二人が、エルンストの死後は別々に仕事をするようになり、またその進む道も対照的だったのだと、これも今回初めて知りました。

エルンストの描いた油画もここに2枚。彼のどこかロマンティックで緻密な絵を見ると思うことですが、早くに亡くなった彼がもう少し長く生きていたならば、どんな絵を描いていっただろうか、芸術家カンパニーはどんな道を辿ったであろうか、そしてグスタフの画業はどのくらい違っていただろうか、と。

飛騨高山美術館の「森の奥」がここにいました。マカルトが手がけたヘルメスヴィラ寝室のためのデザイン(といっても油画でかなり大きなサイズ)も。マカルトが急逝してしまったために、このデザイン通りとはいかず弟子たちが受け継いで完成させたそう。そこにクリムトたち芸術家カンパニーも参加したとのこと。ここからブルク劇場の装飾へと仕事が繋がっていったのですね。ブルク劇場のみならず他でも実績をあげていたということで、それらの下絵も展示されていました。あの美しい美術史美術館の壁面装飾の下絵も並んでいて、その綿密さ、美しさにうっとり。素晴らしいなあ。

そうそう、数年前に美術史美術館に遺贈された際に話題になった「紫色のスカーフの婦人」が来ていました!生で見る機会なんてあるのかなーとその当時は思っていたのですが、来てくれたのね…。


第3章は私生活。「葉叢の前の少女」が素敵でした。軽く印象派的ながら、顔の描き方はまごう事なきクリムトスタイル。

第4章は「ウィーンと日本 1900」で展覧会のタイトルにもなっていることから、この部分でいろいろ成り立っているのだろうなーと想像。少し視野をひろげて、マカルトなどの絵画から当時のウィーンがどのように日本的なモチーフを取り入れたかを例示していました。ユリウス・ヴィクトル・ベルガーのアトリエの絵は、ホイッスラーがつくりあげた孔雀の間を思い出させます。

クリムト作品では「女ともだちI (姉妹たち)」「17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像」、そして「赤子(ゆりかご)」がここに。エミーリエのは、絵というより額に描かれたモチーフが日本的という紹介。愛知県美の「人生は戦いなり」はここにあってもよかった気がするな。以前愛知県美で見た展示では、日本的なモチーフの延長に位置付けされていたから。あの時の日本的モチーフの掘り下げが圧巻だったので、こちらが少し物足りなく見えてしまったところはあるかも。

第5章はウィーン分離派。一番の目玉とも言えるベートーヴェン・フリーズ複製がここにあります。東京展より天井が高いそうなので、より現地に近いと言えるかもしれません。見る前は「現地で見たしなー(本物に勝るものなし)」と思っていたけど、分離派会館の実際の展示より低い位置に設置されているので、ディテールが見やすくてよかったです。制作の息遣いが見えるというか。更に、この壁画が発表された1902年のベートーヴェンを讃える第14回分離派展の展示内容を模型にして、分離派会館を上から見られるようになっていたのも行き届いていました。今まで写真でしか見たことがなかった当時の展示室の様子がリアルに感じられて、2次元から3次元へイマジネーションが広がった感が。マックス・クリンガーのベートーヴェン像も(腰から上のみ)、縮小したサイズのものがあり、可能な限り当時の様子を想像させてくれる仕組み。

「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」とはここで再会。大分県美の静かな薄暗い展示室で対峙した時は神々しい女神だったけど、明るく人の多い展示室で出会ったらアイドルのように見えた(笑)。それが悪いという意味ではなく、環境が違うと絵の印象って全く変わるんだな、と改めて。それでもほぼ独り占めにできる時間帯があって幸せでした。「ユディットI」もここで見ると退廃的な部分が薄れていたかな。しかしディテールまでじっくりと、満足するまで見ていられたのでいうことなし。「鬼火」が見られたのも、わたし的にはハイライトの1つ。妖しく誘うように光る鬼火の描写よ…。こちらはユニマット旧蔵品なんですよね。手放された後で知ったので、ようやく出会えて感無量。「人生は戦いなり」はここにいました。

クリムトが学生時代に描いた3点の小品ののぞいては1898年まで1点も風景画を描いていなかったというのは、今回初めて知りました。回顧展を見ないとなかなかわからないことですね。風景画や肖像画はクリムトが中心ではあるものの、分離派の画家を紹介するような感じになっていましたね。カール・モルの白樺の絵やコロマン・モーザーのの松林の絵はクリムトの樹木林の絵に少し似ているのは面白い。クリムトの絵はやはりone and onlyで、ここにベルヴェデーレ以外からの風景画が来ていたのは嬉しかったです。あまり生で見る機会がないもんね。

肖像画では、所蔵館の意向で来るはずだった「マリー・ヘンネベルクの肖像」が見られなくなってしまったのが残念だったけれど。オットー・フリードリヒ「エルザ・ガラフレ」がよかったです。わんこ。

クリムト展としての満足は、最後の章 生命の円環につきるかもしれません。ウィーン大学新講堂天井画のための習作が並び、死と生をテーマにした作品が続きます。生後81日で亡くなった3人目の非嫡子オットーを紙にチョークで描いた作品は、いつものクリムトのように、顔は念入りに質感をとらえ、それ以外の髪やおくるみは手早く仕上げられていました…。いくつかの死者の絵、妊婦を含めた人々の素描、そして「女の三世代」と「家族」。この美術展がこの2枚へ収束していくのなら、蛇足なのでは?とすら思ってしまったクリムトの女性関係の章も意味があったということなのでしょう。


50分くらいで見て回りましたかねー。遠征なんだしチケット買うのにも並んだのだから、もっとじっくり見ればと自分でも思うのだけど(笑)。あいトリの混雑を避けたがために、常設展示室は(あいトリ準備のため)閉鎖中でコレクションが見られなかったのがとても残念でした。再訪の理由ができてしまった。

しかし髙橋節郎館は開室してたので見て来ましたよ。漆も金彩銀彩も、クリムトも手がけてしましたし、どこかリンクしている気がして興味深かったです。中でも、漆と金銀の装飾を施されたハープ、ピアノ、クラリネットとフルートが2本ずつが飾られていて、身を乗り出して見てしまいました。wiki見たら豊田市のコンサートで使われることもあるんですって。漆のフルートって滑りやすくないのかな?ってちょっと思ったけど、それは金や銀でも一緒か…。クラリネットは漆+金or銀を施されると、ちょっと無国籍な感じに見えて、自分が思うよりもクラリネットの木肌をアイデンティティとして認識していたことに気づきました。面白い。フルートは自分がやっていたから、装飾やマテリアルがどうだろうと形で認識しているのでしょうね。音はどうなのかなー。吹いてみたいとは言わない、聴いてみたいな。

一度は行きたいと願っていた谷口吉生設計の豊田市美術館をようやく訪問できたのもよかったです。かつてお城があった場所に美術館を、というのは美術館立地あるあるですが、高台ゆえに待っている急傾斜に恐れをなしてタクシー利用だったため、池越しの正面からの景観は見そびれました(暑すぎて外から確認することすら憚られた)。次回はもう少し気候の良い時に、コレクションと建物を堪能しに行きたいと思います。

帰りも迷わずタクシーで。客を降ろしたばかりの車を拾えてお互いラッキーでした。帰りの運転手さん曰く、あの坂道は車もひよひよ言うって(笑)。そして、「天下のトヨタさんのご威光で立派な美術館とスタジアムを抱えて市民はアップアップですわ」とも。うーん、美術館のない市に住む身としては、クリムトのある美術館なんて羨ましくて死にそうだけど…会場は違うけどその後のあいトリ騒動も含め、文化事業と税金を絡めた話は(騒動の方は、論点が絡まりすぎてるので切り分けが必要だけど、それをする間も無く次々炎上していって怖いし、検閲的な部分に無自覚な層が大勢いるのも本当におそろしい…)叩かれがちだよね。。


クリムト展 - ウィーンと日本 1900
2019/04/23-07/10 東京都美術館
2019/07/23-10/14 豊田市美術館

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